外食できる店も実は少なかった。
自分の記憶の中には、蕎麦屋と寿司屋、
甘味処と駄菓子屋(奥でお好み焼きが食べられる店があった)、
中華料理屋と喫茶店・・くらいしか無い。
横浜駅とかに行くと、駅ビルやデパートに食堂があったり、
カレー専門店とかの店もあったけど、昭和40年代後半になるまでは
外食ができる店も少なかったように思う。
そんな数少ない飲食店の中では蕎麦屋が多くあったと記憶してて、
かつ、コストも安かったから賑わっていた。
しかも店によっては、蕎麦屋なのにラーメンとか炒飯とかもあって、
中華料理店と蕎麦屋はどっちがメイン料理?・・なだけの
街の何でも食堂に近いイメージすらあったっけ。
そんな伝統をずっと守ってきた自宅そばの蕎麦屋には、
通常の蕎麦屋メニューに加えてハンバーグ定食とかしょうが焼き定食
なんかもあって、結構な確率でお世話になっていた事を思い出す。
ただ問題は、
「味よりも量」という昭和な伝統に従ったやり方。
板わさ頼めば1本板だけ外してそのまま出るとか
すき焼き饂飩を頼めば、最初から丼ご飯までついてきてしまう・・って感じ。
勿論そんな食事を求める人はまだまだ多かったから結構な人気だったけど、店主高齢により廃業。
昭和な味わいのハンバーグ定食は二度と味わえない物になってしまったのだ。
いやね、
最近、そんな街の蕎麦屋って行けてないし、
そもそも見る事も少なくなったな・・って思うのですね。
メニューに「かけ蕎麦」と「ラーメン」が有るような店って、
飽食の時代には存在価値が見い出せなくて消えたのだろうけど、
今となっては、安くて何でもあってボリュームもある飲食店って
一番あって欲しい店なんじゃないかと思う。
で・・・
今行く蕎麦屋って、蕎麦専門な店になっていくのだけど、
そうなると蕎麦その物の好みが合う店に気持ちは流れる。
と言うか既に蕎麦屋は、寿司屋に近い存在と
古き良き時代の慣習を守りながら進化した存在に分かれていて、
若き店主が目指す蕎麦屋は前者になっていくのかも知れない。
どっちが好きか?って言われれば、
どっちも・・と答えるしかないけど、
違う店なんじゃないかって思っているんだよね。
「もう、松茸があるんですね」
「国産じゃないですけどね」
「ここのところ、国産松茸って異常と言えるくらい高価じゃないですか?」
「凄いですよね。松茸は栽培ができないから高価だとは言いますけどね」
「聞いた話だと、茸を採る人って家族にもその場所を教えないとか。
松茸なんて高価だから、採る場所を荒らされたくないって事でしょうかね。
で、良い場所を知ってる高齢者が引退したり亡くなられて、収獲が減ってるとか。」
「それもあるでしょうけど、やっぱり気候変動が大きいんじゃないでしょうか。」
「と言う事で、天麩羅をお願いします」
晋山のアテは、どちらかと言えば走りのものが多い。
もう松茸?って思ったけど、料理は目でも楽しむ物・・とあらためて思ってしまう。
あ〜
やっぱり天麩羅って脱水の美学だよね。
今日は塩で楽しんだけど、
返しをもらって浸けて食べても美味しそうだ。
実は、晋山ではあまり天麩羅を食べない。
そもそもバリエーションが無いって事もあるけど
あまり天麩羅を売りにはしていない感じもあって、
こうやって走りのものや珍しいものがある時に天麩羅で用意する、
というくらいのもの。
蕎麦屋には海老天があると思いがちだけど、
ここでは食べた事も見た事も無いんだよね。
蕎麦屋流の揚げ方なので天麩羅蕎麦にしたら楽しそうなんだけど、
天麩羅蕎麦やたぬき蕎麦など汁に油が入る食べ方は勧めていないメニューなので、
大将は天麩羅そのものを出したくないって気持ちがあるのかも知れないね。
今日のシメは更科。
やっぱりコレを食べないと晋山に来た気がしない。
相変わらずのしっかりとした蕎麦は
ほっとさせてくれる気持ち良さと美味さのバランスがヤバかった。
こんな蕎麦が、昭和な時代にあったらどうだったのだろう。
上品で抜群に美味くても、高額だったら流行らないのかな。
今で言うファストフードに近かった蕎麦が、
ここまでの進化を遂げたのは、蕎麦その物から作り手
製粉技術の進化に加えて食材の流通も食材その物も
全部がグレードアップできたからって事なんだろう。
今はコロナで、そうやって築き上げたクオリティが壊されつつある。
技術などの退化じゃなくて仕事が無いという現実が、
コロナ禍の恐さだと心底思う。
このまま徐々に生活が戻って欲しいと願いながら、
今宵もくだを巻くのはお約束。
ごちそうさまでした。
☆☆
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