2020年6月3日水曜日

ラビオリ

  
 
スペイン風邪が流行ったのは1918年。
感染が拡大し一旦収まるものの1919年にまた感染拡大となった。
 
ウィルスの存在を知らなかった時代でも対応策は今と同じで、
45万人の死者を出しながら自然に消えていったと記録されている。
 
今回のコロナは、国家的な封じ込め作戦が功を奏し、
死者数は低く抑えられているけど、日々の暮らしを支える策は
そろそろ原資の問題で厳しい状況になったのだろう。
 
今週に入ってから、運営正常化に転進する企業を目にするようになったけど、
実際のところ不安は消えないどころか大きくなっているように感じる。
 
それは職場にかかってくるいわれ無きコンプレインの量にも表れていて
「私達がコロナを流行させてるんじゃないんですけどね」と言い返すのを
グッと堪えていたりするのだ。
 
反撃されそうにない相手に対して
罵詈雑言を投げつけるのって情けなくないですか?
・・と、ここには書いておきますかね(^_^;
 
まぁ、コロナ騒ぎで外食が難しくなってから
食べ物日記のこのページにも、本来は本家のHPで書くネタを
展開してしまっているのが、ちょっと心苦しい。
 
でも、自分にとっての外食って
思ってたよりも大事なルーティンだったって事が
日を追うごとに強く感じるようになった。
 
料理や店の人との会話、
そして同席した見知らぬ他人の佇まい、
店の周りの環境ですら、全ては大事な情報だったのだ・・と。
 
自炊できっちり料理をすると
無意識に欲しがっていた料理以外のものが少なくなっていく。
 
①テイクアウトで買いに行くこと、
②スーパーやコンビニで半完成品もしくは完成品を入手すること、
③自宅での自炊ローテーションに入った食材だけで料理すること、
その3つを比べれば、社会に関わる度合いがどんどん薄くなっていくと
感じるワケだ。
 
・・と、ラビオリが茹で上がった。
 
今日は茹でればOKなラビオリに
レトルトのソースをかけるだけの晩飯。
 
でも、スーパーで植えている人間観察については
特にレジ回りの風景を眺めながら楽しんできた。  
 
   
    
  
茹でるだけのラビオリって、やっぱり具材が情けないよね。
 
量も少ないし、そもそも何が入ってるのか想像しにくい具材で、
茹で方が足り無かったのか、ちょっとクリスピーな食感まであったりする。
 
形態で言うなら水餃子に近いコイツは水餃子なみに餡を入れたらやり過ぎだけど、
それでもカッチリパンパンに具が入って欲しいって思ってしまう。
 
あ〜
 
水餃子食べたくなっちゃったじゃんね。
 
って、量が足り無かったってことなんですけどね。
 
そう言えば最近、
パスタを自宅で食べてないな(冷食は別)
 
このコロナ騒ぎのおかげで
一時期パスタもすっかり品切れ状態になって
それでストックたして無いんだわ。
 
と食べ終わって気づく間抜け。
最近、事後に気づくってパターン多すぎるかも。
 
ごちそうさまでした。

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