2015年12月7日月曜日

失われていくもの

昨日はニンニク&炭水化物をたっぷり摂ったので、
ちょっと元気になった気分を味わっている。
 
紆余曲折あって開く会議に、
当日になって2名欠席の連絡をもらったり、
山積みになっている問題の数が増えていたり・・・で
ちゃんと消費できる仕組みになっているらしい(^_^;
 
ま、時間が無いので、
相変わらずこんなのでデスクランチになっちゃったけど。
 

スパムおむすびのおにぎらず版?な感があるこのセット、
食べやすく感じられないのは何故なんだろう。
 
でも、この手のコンビニランチ系の物って、
本来はもっと美味しい物なんじゃないかなって思ったりする。
 
何だろう
 
美味しく食べさせたいって気持ちが弱くて、
商品としての規格に当てはめました、な出来上がりに見えるから?
 
とは言え、充分に楽しんではいるんだけどね(^_^)
 
 
昨日はちょっと、伝統芸能に触れていた。
  
居るだけで空気が変わってしまうような重鎮達の多くが死去し、
次世代が頑張っているの現場だったけど、
最後に登場した重鎮1人が空気を全部持って行く様を見ると、
失われていくものの大きさに、改めて気づかされる。
 
その人しかできないことは確実にあって、
それを伝えていくことは、不可能に近い。
 
技術的な事だけでも、引き継ぐ人の努力無しには実現しないのだが、
表現の世界は生き様を晒すことでもあるので、
同じ様な人生の感じ方と考え方が寄り添えないと難しい、と思っている。
 
何も無いから、自分で作り上げていく事が当たり前な時代に生きた人と、
何でも揃っていて、細かい解説すら簡単に手に入る時代に生きた人では、
生き様をすり合わせるのに、どれほどの感性と努力が必要だろうか。
 
そんな事を思うのは、
失いたくない人を失ったり、
大事にしていたものが消えていたりすることが
日常的になってきたから、なのかもしれない。
 
  
失う事は、
仕方の無いこと。
 
わかっていても、
悲しいこと。
 
でも、自分の心の中には
ずっとあること、
と感じて生きている毎日、だったりする。
 

しかし、
時間は有限なのに、
また会議が増えそうな予感がする・・・なぁ(>_<)
 
 
ごちそうさまでした。
 
55点(今一つ、味の方向性が見えなかった)

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