火曜です。
崎陽軒弁当を食べる日です。(最近そうでもないけど)
って言うか、昨日も崎陽軒弁当狙ったんだけど、
お目当ての物が・・・ね(^_^;
で、先週から狙ってたのは、
この弁当。
今日は、手に入りました(^_^)
いやぁ・・・・
1000円だよ、この弁当。
これより高いレギュラー弁当は幕の内と中華弁当しかないっていう位、
崎陽軒の弁当としては高い商品なワケで。
(東京&一部横浜で売られている銀だら弁当は1300円だけど)
オムレツライス、ポークカツレツ、昔ながらのシウマイ、ナポリタン、
オニオンソテー、コールスローサラダ、福神漬け・・という内容で、
766kcalと、控えめなカロリーで調理されているのが嬉しいところ。
でも、弁当でオムライス? いやオムレツライスって・・・・
お〜〜〜〜
確かに、豪華だ(^_^)
ちゃんとケチャップまで付いてて、
1000円というコストでも納得できる仕掛けがされている。
へ〜〜〜〜〜
ちゃんとケチャップライスをオムレツが包んでいる感じに仕上がってるね。
オムライスのような感じではなく、大きく四角に焼いた玉子焼きを折り込んだような
そんなイメージがあるけど、玉子焼きの厚みは結構ある感じ。
ただ、ちょっとモチッとした食感が強く感じるので、
オムライスと思わずに食べた方が良いかも知れないね。
トンカツも、弁当のトンカツらしさを脱却してはいないけど、
そこそこの食べ応えがあって楽しいし、オニオンソテーも甘くて美味しい。
ナポリタンは横浜発祥だから入れたって書いてあるけど、
福神漬けが入っているのだけは、意味不明。
悪くは無いけど、必然性に乏しいような・・・
大正時代に日本郵船の欧州航路客船でカレーに添えられたのが
カレーとの出会いの始まりって情報はあるので、
なんか洋食に付け合わせるにはこれでいいか・・と
考えたような気もしないではないね。
横浜は西洋文化の入り口だった町。
洋食も「築地ホテル館」で料理長を務めたルイ・ベギューが
横浜グランドホテルの料理長となりフレンチを広め、
神戸オリエンタルホテルの社主となって、日本のフレンチを関西にも広げた。
帝国ホテルのフレンチも
ベギューの下で学んだ吉川兼吉が初代料理長となった事を考えれば、
横浜の洋食が注目される存在であった事は想像に難くない。
そして、桜木町駅・二代目横浜駅誕生100周年となれば、
明治41年に初代横浜駅(現、桜木町駅)構内での営業許可を取り創業した崎陽軒は、
崎陽軒らしさと横浜らしさを考えて、こういった弁当を企画するのは
あるいみ当然の帰着と言って良い。
もちろんこの「桜木町駅・二代目横浜駅誕生100周年」に関しては、
これから横浜みなとみらいエリアにおいて、記念イベントが開催されたり、
記念グッズや記念商品も多く販売されるので、夏休みに横浜に寄る人には
ちょうど良いお土産になる可能性もあるね。
で・・・
なんか当たり前に二代目横浜駅の話が出ているけど、
実はその存在が現存しているとわかったのは、そんなに前の話ではない。
そもそも二代目横浜駅は
1915年(大正4年)に竣工し、
1923年(大正12年)の関東大震災でダメになってしまい
1928年(昭和3年)に現在地に移転となった短命の駅だった。
史実としてその存在は一部の人に知られていたけど、
建物自体が残ってないと思われ、あっという間に人々の記憶から消えてしまう。
何故だろう?
当時は、都市開発と鉄道の発達が活発な時期。
最初の鉄道路線ができた時は現在の横浜駅がある場所は海だったし、
土地買収が進まないなら海の上に線路を敷いてしまえ、とできた路線でもあった。
東海道線が桜木町駅でスイッチバックする形で繋がった頃には埋め立ても進み、
一部残った海が平沼と呼ばれていたという。
東海道線が敷かれ、神奈川ー保土ヶ谷間の短絡線ができた後、
平沼に駅が設定され、生糸輸送のための横浜線ができた頃には東神奈川駅もできる。
神奈川駅廃止され現在の横浜駅ができて・・と、
埋め立てや駅の新設と廃止がどんどん進んだ時代には、
短命の駅の存在なんて、記憶に残らなかったとしてもおかしくない。
で・・・
そんな二代目横浜駅の跡地の上に駐車場があったのだが、
その駐車場の管理を私が所属する会社がやっていて、
バブルが弾けるまでの間、地主はその土地を保持していたから、
まさかそんな場所に遺構が埋まっているなんて気付くチャンスも無かった・・と。
ある時、地主から突然駐車場経営をやめて土地を売却する、という話がやってきた。
東急高島町駅前のかなり広い面積を占める駐車場だから、
集合住宅を建てて経営する会社に売りたい、という事だった。
管理している方にしてみれば、
違法駐車の排除や契約者の料金踏み倒し問題など、
面倒な仕事ばかり起きる場所でもあったから、異論は無かった。
(契約者を多くしても利益にはならない契約だったし)
そして建築会社がその駐車場を掘り起こしたところ、
二代目横浜駅が出土・・・
当然工事は凍結され調査が進むと、
横浜電気株式会社の裏高島町発電所の遺構が駅舎の下から出土する、
という凄い事態になっていく。
関東大震災と空襲で明治・大正の遺構は殆ど無い状況の中で
2003年5月に見つかったから、そりゃ大騒ぎ。
葛飾の金町煉瓦製造所のレンガが出てきたり、
当時としては珍しいコンクリート杭が基礎として打ち込まれていたりと、
当時の貴重な資料がごっそり出てきたわけで、研究者が色めき立ったと聞いている。
2004年(平成16年)には東横線の横浜ー桜木町間が営業停止し、
みなとみらい線が営業開始となる1年前の事だから、
施工主も色々な意味で計算が狂ってしまったろうなぁ・・と
廃止直前の東横線から調査風景を眺めた記憶が、まだ新しく残っている。
明治から平成まで、
横浜はもの凄く姿を変えてきたのだろう。
そしてその記録がどうにか残っているところが面白いと思うが、
その記録を裏付ける物がどんどん失われているのも事実。
だから100周年記念という事で行われる展示等のイベントが、
そんな記録の裏付けができる何かを掘り起こすきっかけになって欲しい、と思う。
古い歴史を学ぶ事は大事だけど、
近代史を正確にフラットに知る事はもっと大事だと思うのは、
今を知る上での大事な基礎になるからだ。
・・と思いながら食べた弁当、
やっぱりドッシリとした重さがあったように感じられた(^_^)
ごちそうさまでした。
57点(コストパフォーマンスが・・・ね)
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2015年7月28日火曜日
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