町場のバーだとその傾向はさらに強く、その店なりのルールがあって
そこを知らずに入ると周りの視線がキツイ、といいう事もままあったりする。
しかもコストはかなり・・というパターンがあって、ガイドがいないとまず入らない。
でも、観光地横浜はではそこまでの店は少なくホテルバーでも柔軟性はあるが、
知識が無いとさりげなく手を抜かれたりもする。
(オールドファッションにマドラーを付けない、とかね)
横浜ロイヤルパークホテルのメインバー「ロイヤルアスコット」は
横浜ではオーセンティックなホテルバーとしては歴史有るニューグランドの
「シーガーディアン」(現在はシーガーディアンⅡ)に並ぶ格式があるが、
観光地のホテル故、ドレスコードはスマートカジュアルとなっている。
私は、開館当時からの付き合いだ。
当時のキラキラした混み具合が嫌いで2年くらいは足繁く通う事はなかったが、
それでもボトルは2〜3本キープする形で付き合っていたと思う。
ホテルバーを使うキッカケは、
会社の役員に飲みに誘われて行った「シーガーディアン」での体験が大きかった。
バーに入ると、スタッフ全員が役員の顔を知っていて挨拶し、
座るだけでキープボトルが出てくる・・といった対応にまず驚いた。
そして、町場のバーに比べると酒の量が多く(コストパフォーマンスが良い)、
ジュースの様だと思っていたカクテルの美味さにも驚かされる。
仕事柄、接待的な飲みがそこそこあったので、
サービスがしっかりしているホテルバーを使うようになるのは当然の流れだった。
横浜ロイヤルパークホテルにはメインバーの他に70階にラウンジ「シリウス」があり、
景色を楽しみたい人はそこへ向かうのだが、階下(69階)の展望フロアの入場券が
1000円と設定されるように、チャージも当然の如く高く設定される。
(カバーチャージ17:30〜 1100円 19:00〜2200円)
だが、キープボトルを持つ人にはチャージがかからない事から、
常連はティータイムに訪れてボトルを出してもらい、
静かに酒を飲みながら夕焼けから夜空に変わる空の色を楽しむ人が、一定数いた。
コロナ禍によって営業できる時間が制限されたり、
遅くまで酒を楽しむ人達が減ってしまった事もあって、
バーの営業時間に限らず、深夜まで営業する飲食店はかなり減った。
横浜ロイヤルパークホテルでもメインバーを一時期閉鎖したり、
飲食店の幾つかに休業日を設定したり営業時間を短縮する等バランスを取っていたので、
以前に比べて訪れる日が激減してしまったのも事実。
実際「ロイヤルアスコット」は22時ラストオーダーだったので、
22時まで職場にいたら行く事が不可能だったのだ。
そんな状況を見て判断したのか、
それとも別の問題があったのかはわからないが
横浜ロイヤルパークホテルは来年いっぱいで営業を停止して改装に入る、と聞く。
それに伴い「ロイヤルアスコット」は今月末で営業を終了し、
キープボトルは70階で飲める事になったとの事。
なので、メインバーでの一時を楽しむためにも
足繁く通いたいところだが、以前の様に量を飲めない身体になってしまったので、
正直悩ましい。
モルトのストックがかなり多いので、友人を誘って飲むのだけど、
多くのボトルは持ち帰るしかないと覚悟はしている。
いつかは飲もうと考えていた古い物から飲んでいて、
60年代のモルトはほぼ飲み終え、70年代の物に差し掛かっているけど
果たして何本飲みきる事ができるだろうか。
アイリッシュコーヒーは、シメに飲む一杯。
火を点けてアルコールを飛ばすのは日本独自のスタイルの様で、
発祥の店と言われるSFの「ブエナビスタ」では火を点けず、
日本のバーで出る形でサーブされた事を思い出す。
アイリッシュウィスキーで作るのが本来だけど、
アイラ系のモルトを除くほぼ全部のモルトを燃やして作ってもらったっけ。
その中で最上だと思ったのは、ヘネシーが1998年にリリースした
「ヘネシー・ナジェーナ」を使った一杯。
これは美味かった。
でも何故、コニャックのメーカーとして有名なヘネシーがウィスキー?
実はヘネシーの創業者はアイルランド人で、
イングランドの弾圧に苦しんでいた自国を脱出してフランスに渡り、
辿り着いたコニャック地方でブランデー作りを始めたのだとか。
その7代目のジール・ヘネシーが創業者への想いを込め、
アイルランド大麦を使ってアイルランドの蒸留所で作ったのがナジェーナで、
アイリッシュウィスキーらしい穏やかさがありつつ、味わいは濃いモルトだった。
で、その円やかで濃い味わいならアイリッシュコーヒーに合うだろう
と思って作ってもらったんだけど、これが最高だったのですよ。
ちなみにアイリッシュウィスキーはまだまだ認知度は低いけど、
それには理由があった。
アイルランドは第二次世界大戦時、国内流通のためにウィスキーの輸出を禁止したが、
その結果、販売数が落ちて衰退し、1975年には蒸留所は2ヶ所になってしまう。
(ジェムソンを作るミドルトン蒸留所とブッシュミルズ蒸留所)
だが、1980年代はウィスキーにとっては受難の年で、
日本国内のウィスキー消費量は83年まで上昇の一途を辿っていた事から、
多売するために滅茶苦茶なクオリティーの物までが登場した。
例えばマッカラン場合、1974年に6基、75年にさらに3基と
ポットスチルが増設されるような多売戦略に陥っていたが、
それらはまだまだ飲むに値するマッカランらしい味わいがあって
今も高値で取引されてはいる。
だが、1981年に「以前の物とは違うよ」という意思表示にも見える
ラベルの色変更が行われ、味もマッカランらしさは消えていた。
1986年にサントリーが株式を25%取得し、86年蒸留のマッカランは
サントリー流の経営哲学に基づいた戦略変更は為されたと想像させる
ボトル変更を行っている。
味?
80年代のマッカランなんて飲む気になれないね。
1980年のマッカラン18年グランレゼルバは辛うじて許せるけど、
1980年の18年物はもうアウト。
勿論、アイリッシュウィスキーも次世代への挑戦を開始する。
1987年にピートの効いた「カネマラ」を造り始めたクーリー蒸留所が創業し、
1989年にはキルベガン蒸留所が再スタート。
美味くて有名だった「タラモアデュー」を作るタラモア蒸留所の再スタートは
2014年となり、現在は50軒を超えるとも言われている。
・・とモルトの話をバーテンダーとしながら飲む酒は
ホント美味いんですよ。
来週も飲みに行こうかしら?
ごちそうさまでした。
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